2016年12月30日金曜日

葵の会

「葵の会」

出展者
安彦文平・安西大・大川心平・木下拓也・鴻崎正武・佐藤功・白河ノリヨリ・松田一聡・松村浩之・向川貴晃

2017年1月9日(月)〜1月14日(土)
11時〜19時
※最終日は17時30分まで

銀座スルガ台画廊
東京都中央区銀座6−5−8 トップビル2F
TEL・FAX03−3572−2828

10号の油彩と新作の素描(ペン画)を発表します。
宜しくお願い致します。

2016年11月23日水曜日

美じょん新報 第206号

美じょん新報 第206号に、NICHE GALLERYでの個展「幸福な選択」のレビューを書いていただいきました。
主筆の瀧梯三先生が、展覧会会場でメモをとってくださっている様子には、緊張感があります。分かりづらいと評されることも多い私の作品ですが、その分かりづらさを独特であるという言葉に変えて背中を押してくださることを、とても感謝しております。

ビジョン企画出版社 「美じょん新報」
第206号 11月20日発行

宜しくお願いいたします。

2016年11月18日金曜日

個展の後


個展「幸福な選択」は11月4日をもって、無事会期を終えることができました。ご来場くださった皆様、また多くのお心遣いを誠にありがとうございました。

展覧会終了後、数年ぶりに風邪で寝込みました。
その間いくつかの妙な夢を見て、目が覚めたときには、シャツが汗で身体に貼りついていました。
ぼんやりとした意識の中、着替えをしながら、現在の自分にとっての関心事は何であるのかを考えました。

生活をしていれば当然環境は変動し、それに伴って関心は様々に移ろいます。
私はその移ろいを幾重にも重ねて、絵にしたいと考えました。
そうすることで、時間軸や場所、主体客体の設定は入り組み、益々洗練とは程遠い方向に進んでいきます。
制作においての客観性を持つどころか、私自身が描くことで新しくその絵と出会っているのです。
そのため、私が自作について語っていることは、私が自分の絵に語られていることを話しているに過ぎないとも言えます。
現在を描くためには過去を描くだけではなく、未来という不確定な要素が必要なのかもしれません。

新しいシャツは冷んやりと身体を包み、汗が引いたのと共に、頭痛もだいぶおさまったようです。

私の考えを信じて応援してくださる方がいることに驚くとともに、感謝しています。
年内の展示はこの個展で終了です。今年も一年間、誠にありがとうございました。

2016年10月25日火曜日

大川心平 個展-幸福な選択-

「幸福な選択」

画家の描き出す私的な風景は、時間や場所を超えて、人々の琴線に触れます。
そこに描かれた、行ったこともない場所に懐かしさを覚えることもしばしばです。
私にとって絵は客体であるため、そこに自分を投影するほどに、自分を他者のように感じることがあります。
ここに他者の私的な体験に懐かしさを感じる要因があるようです。

過去が足音を響かせて、現在に近づいてきました。
自分の現在地を描くためには、過去を知らなくてはなりません。
過去の記憶を描くと、元々ひとつながりであった現在と過去に、明確な区別ができるようです。

区分された過去は、当然変わることはなく、固定されたものですが、現在は常に更新されます。そして過去は全てその更新された現在に帰着します。
そのため、私は絵に結果を描きません。過去にしたどのような選択にも固有の結果は存在しないからです。


大川心平 個展 「幸福な選択」

2016年10月25日(火)〜11月4日(金)
11時〜18時30分
※日曜日は休廊致します。

NICHE GALLERY
東京都中央区銀座3−3−12 銀座ビルディング3F
03−5250−1006

宜しくお願いいたします。

2016年9月30日金曜日

大人の扉(冬)


2015年にソウルのGALLERY GODOでの個展に出品した「大人の扉(冬)」という作品が光州市立美術館(韓国)に収蔵されました。
2014年から続けている「街の背中」シリーズの一点です。

韓国では2011年から隔年で個展を開催していますが、その度に温かく迎えていただき、また支持を得ることが、作家活動を続ける上での助けとなっています。

現在は10月末に予定している、東京での個展の準備をしています。
僕の絵は年齢を重ねるほどに、洗練どころか混沌に向かっているようです。しかしこの混沌も、いずれ系統立てられる時が来るでしょう。
作家はその宿命を知りながらも、芸術の当事者であるために、暗闇の中を手探りで進む役を演じなくてはならないのです。

2016年9月20日火曜日

機上の光景

滑走路に入った飛行機は、進路をしっかりと見据え、エンジンの振動で小刻みに揺れています。
合図とともに車輪が加速し、機体は傾きを強め、ふわりと浮かび上がりました。

遠ざかる地面、海には船が散らばっています。
建物の集合体である街はとても静かな様子で、そこに住む人々の動きは何も見えません。道を走る車ですら無人のように感じます。

大きな雲の影がくっきりと大地に映っていました。
地上ではただ受け入れるしかない、雨や日陰も、機上から見れば、その理由は明らかで、真理に近づいたような気持ちになります。
しかし僕たちは、病気や交通事故で簡単に命を落とし、その広い視野からは見ることができないとても小さな出来事に運命を握られているのです。

しばらくすると、機体は水平飛行の体勢になりました。すぐ下には白い雲の絨毯があります。辺りは晴れ渡った空に囲われていますが、この雲の下は雨が降っているに違いありません。
僕は座席を少し傾け、目を閉じました。あとは着陸を待つだけです。

2016年9月4日日曜日

消えた羽

駅までの道のり、晴れた空は心を少し軽くしてくれます。
総合病院の駐車場前に差し掛かったところで、前方に鳩の柔らかい羽が浮遊しているのが見えました。ゆっくりと辺りを漂いながら、地面に降りてきます。
突然、後方から音もなく、乗用車が僕を追い越していきました。
その勢いで羽は回転し、再び高く舞い上がります。
太陽と羽が重なったとき、眩しくて目を細めると、僕はそれっきり羽を見失ってしまいました。

2016年9月3日土曜日

桜の葉

嵐と晴天が繰り返すたびに季節は移ろい、夜には寒さを感じることもあります。
昼の日差しを受けているときは発汗しますが、近いうちにそのことも懐かしくなるでしょう。
カーテンを揺らす風。落ち葉もアスファルトをカラカラと転がります。
近くにある中学校の桜の木は、春には満開の花を咲かせ、夏には清々しい緑の葉を見せてくれました。
すべての葉が落ちた頃、僕は厚手の上着を着込み、その記憶を思い出すことはあるのでしょうか。

2016年8月27日土曜日

夏の終わりの風景

水平線上にどこまでも並ぶ入道雲。
飛行機が頭上にある太陽と交差して、黒いシルエットとなりました。
晴れた日のベランダでは、朝に干したシャツが、正午にはほとんど乾き、風に揺れています。
まだ暑さが残ってはいますが、蝉の声は一時の勢いを失っているようです。
去り行く夏を惜しみながら、庭先のプールではしゃぐ子どもの声が聞こえてきました。

2016年8月23日火曜日

夕刻の嵐

ドアを開けると風雨が吹き込み、一瞬のうちに玄関が水浸しになりました。
日本列島の上を台風が通過しています。
通りを歩くと傘は裏返り、手に持った麻のジャケットは元の色がわからないほど濡れてしまいました。
駅に着くと電車は遅延し、僕は途方に暮れます。
大きなため息が一つ、左右のスニーカーはたっぷり水を吸って、足取りは重くなりました。

仕方なく家まで引き返し、シャワーを浴びて新しいシャツに着替えました。
この一時間弱の出来事が、本当にあったことなのかどうかが、わからない気がしました。
確かに部屋には濡れたジャケットが干してありますが、それだけでは証拠として不十分に思えます。

時折このように自分のしたことが信頼できないことがあります。外で話している自分、家で絵を描いている自分。どちらも不確かな存在だと感じるのです。

そんなときでも絵は確かに手元にあり、その絵について話していることに、僕は疑いを持っていません。
だから僕の絵は自分以上のものなのです。

2016年8月22日月曜日

乾いた音

重く分厚い雲の切れ間から太陽が見えました。
そこだけに日常性があるように感じましたが、実際には普段でも晴れた日ばかりではなく、曇りや雨の日もあります。
敢えていうようなことでもない空模様でも、酷い災害を引き起こす台風が来ても、やはりそれは日常の一部であると思い直しました。

電信柱の側に落ちていた蝉を掴むと、大きな鳴き声をさせながら羽を動かしました。
まだ生きていたことに驚き、近くにあった木にとめると、最後の力を振り絞って飛び上がり、幾度か壁にぶつかって、また地面に踞りました。
壁にぶつかる乾いた音が耳に残ります。
眠るように終焉をむかえる蝉に、いらない波風を立ててしまったことを恥じました。

2016年8月20日土曜日

白粉花の色水

僕の記憶は、いくつもの事物が重なり、所々溶けて、境目がわからなくなります。
それぞれ記憶の重要性とは関係なしに、そのようなことが起こるようです。
新しい記憶は古い記憶の沼に沈み、何かのきっかけで、再び表に出てくることを待っています。

今日も東京は、時折雷雨に見舞われました。
窓ガラスには横殴りの雨が、無数の縦縞を作っています。
僕はただそれをぼんやりと見ながら、白粉花で作った色水のことを思い出していました。

2016年8月19日金曜日

土の匂い

雷鳴が空に轟き、窓ガラスを揺らしています。部屋の電気を消して、稲妻の明るさを見ることにしました。きっと僕の顔は蒼白く光っているでしょう。

しばらくすると、街は静けさを取り戻しました。
土の香りがアスファルトの道路を包んでいます。
雨がまた空へと戻る時、原初の風景を思い起こさせました。

2016年8月18日木曜日

飛び跳ねた魚

葦が茂る小道を自転車で走っていると、トンボが車輪に纏わり付き、僕はスピードを落としました。

肌を焼く日差し。不安定に進む自転車、僕の身体。

小道を抜けると、蓮池がありました。
風が波のように葉を揺らします。

池の真ん中で、魚が飛び跳ねました。
沼の底からやってきた魚。一瞬の出来事。
波紋が広がり、池の渕に打つかって、小さな飛沫となりました。

2016年4月15日金曜日

時を刻む蜘蛛

机上の筆立てにさしてあるビュランから、蜘蛛が一匹、長い糸を垂れてぶら下がっていました。
最近では個展の準備に時間を使い、去年から始めていたエングレーヴィングの練習に手が回っていません。

窓からの弱い風に揺れて、ただ振り子のように、小さな蜘蛛は時を刻みます。

2016年4月14日木曜日

桜と雪

壊れた雨樋から溢れた雨が、止めどなくアスファルトと打つかり、連続した音が部屋の中にも響いています。

数年前の雪の日。
ビルの間の駐車場。滑らかな雪の上を走りました。
街灯が一面の雪に乱反射し、そこは昼のような明るさです。
身体を投げ出して、冷たくて柔らかい雪を背中に感じました。

桜は春の始まりを彩りますが、ほんの数日で風に吹かれ、桃色の吹雪のように散っていきます。
朝になれば、微かに残った花弁も、この雨が落としてしまい、側溝に吸い込まれていくでしょう。

2016年4月6日水曜日

大川心平個展-INSEPTION-

中国河南省の鄭州市にある、SEED GALLERY と、松社という地域の文化の発信地となっている書店で個展を開催中です。

2016年3月13日(日)〜4月8日(金)SEED GALLERY
2016年3月13日(日)〜3月18日(金)松社本店




SEED GALLERY

2016年1月7日木曜日

絵画の器

真っ新なキャンバスの上に、テレピンとダンマルで薄く溶いた油絵具を乗せました。
揮発性の高いオイルの匂いは、部屋中に拡散するので、冬でも窓を開け放して作業をする必要があります。

新しい年に新しい絵が始まり、春に予定している個展に向けての制作は継続中です。

絵は描けば描くほど下手になり、知識を得ようと本のページを捲るほどにわからないことは増えます。
絵画の器は決して満たされることはありません。
キャンバスと無防備に対峙するとき、僕は飢えを感じるのです。

窓から入ってきた冬の外気が、テレピンと混ざり合いました。
遠くからクラクションの音が聞こえます。