2012年3月29日木曜日

静かな夜

外では風が、常緑樹の葉を小さく揺らしています。

階段の曲がり角に腰を下ろして外の音を聞いていました。
静かな夜ですが、全くの無音ではありません。
時折大きな車が国道を走り抜け、遠くではサイレンの音が聞こえることもあります。

僕と同じように、こうして耳を澄ませている誰かが、この街にもいるはずです。

2012年3月26日月曜日

無題

電車を降りると弱い雨が降っていました。
昼は暖かくなってきたけれど、雨が降るとまだ寒いです。
それでも傘をさす気にはなれず、家まで急ぎ足で帰りました。

用事を済ませて部屋のソファーに横たわると、その日あったことが、本当に起こったことなのかどうかがわからなくなりました。
ぼやけた現実に、はっきりとした輪郭を与えなくては、呑み込まれてしまいそうです。

2012年3月14日水曜日

大きなもみの木、閉店した喫茶店、屋根のない駐車場。破けた緑色のフェンスが小さな森の入口です。
マーブル模様の枝、気絶したモグラ、蛇の抜け殻。中心には光の集まる広場があります。

子どもの頃に通っていた森を思い出していたら、珈琲が冷めてしまいました。
こんなふうに時が流れ、今ここにいるのです。

森があった場所には新しい家が建ち、知らない人が住んでいます。

2012年3月8日木曜日

僕にとってのデ・キリコ

不意にいろんなことが無意味に思え、投げやりな気分になることがあります。
僕はそんなとき、デ・キリコの絵を思い出すのです。

キリコの描く街角や部屋は、どんなにモチーフが詰め込まれていても、空っぽな印象があります。それは絵に時間軸や現実的空間を超えた設定をしているからでしょう。
空間を歪めると、そこには必ず隙間が生まれます。そこを彼は明暗を巧みに扱い、強い執着で埋めていくのです。
そうやって出来上がった絵は、宿命的な空虚さをもっているにも関わらず、どんな作品よりも鮮明な印象をあたえます。

キリコの絵は空っぽなものですが、そこには人間の生きている理由がこめられているのです。