2010年12月31日金曜日

今年の成果、少し手前

気になる事柄があり、それに関わる本を探したり、まとめたりしています。

普段、絵が求めることを現実に置き換えて描く。ということを制作においてやっているのですが、一年ほど前から、現実にはないことを絵に求められ始め、どう応えたらいいものかと様々な方向であたっていました。

描く対象はこの一年でわかってきたのですが、そこに絵画の表現様式を持ち込まなければ、この問題は解決しないと考えています。

しかもそれが一つではなく、様式の複合によって実現できるというところまでわかってきました。
そして、その複合の過程と結果が今の関心事なのです。

もう少しで成果を出せそうですが、今年もあと一日で終わりです。
来年には実践でお見せできたらいいなと考えています。

2010年12月29日水曜日

暖房をつけて下地の作業をしていると、部屋の空気が澱んできます。
これでは眠れないなと思い、3つある窓のうち、2つを開けることにしました。

ぐんぐんと気温が下がります。
部屋と外の空気がひと繋がりになり、境界がなくなりました。

いい気分になった僕は、3つ目の窓を大きく開け、部屋の明かりを消すことにします。

空からは目には見えない物質が、常に降り注いでいるそうです。
あまりにも小さいため、僕の身体さえ通過してしまいます。

ときどき僕が空っぽになることは、そんな穴だらけの身体のせいだったのかもしれません。

2010年12月24日金曜日

もう一つの顔

「アートコレクター」という月刊誌の、風景画特集で紹介していただきました。
編集部の方のご厚意に感謝しております。


古い美術雑誌を読んでいると、小さな図版に目が釘付けになることがあります。それが例えモノクローム印刷だったとしてもです。
時の経過という厳しい風に晒されながら、今なお魅力を放つことに胸を打たれるのです。

僕はそのような体験を繰り返しながら、絵に入り込んでいったように思います。
部屋で小さな情報を紡ぎ合わせて、胸を高鳴らせていたのです。

いまだに美術館にいくと緊張します。
実物の絵はいつでも一つで、揺るがないからです。

僕の描く絵も同様に一つですが、このように紙面に載せてもらうことで、もう一つの顔を得ることができたように思います。

もう一つの顔が、実際の作品への入り口となってくれることを強く望みます。

生活の友社 「アートコレクター」二月号 12月25日発行

「美術の窓」一月号と合わせて、是非ご覧になってください。よろしくお願い致します。

2010年12月23日木曜日

美術新聞

家に帰ると、ポストに「美じょん新報」と判の押された封筒が届いていました。
「美じょん新報」といえば、今年の2月に開かせていただいたスルガ台画廊での個展を紹介していただいた美術情報誌です。
中を見てみると、11月の個展を瀧悌三先生が批評してくださっていました。

新聞のような形式のこの冊子には趣があり、どこか前時代的な雰囲気です。

浪人時代に読んだ、平山郁夫先生の本に、初めて新聞に自分の作品の批評が載せられたとき、とても感動したという一文がありました。
時代は違いますが、駆け出しの僕もその端的な表現の批評がとても大事なことに思え、うれしかったのです。


ビジョン企画出版社 「美じょん新報」第135号  12月20日発行

2010年12月20日月曜日

隠し球

月刊誌「美術の窓」の「山下裕二の今月の隠し球」という連載に取り上げていただきました。

山下裕二先生の文章は、以前から興味深く読ませてもらっていたので、今回、自分のことを書いていただき、とても驚き、うれしく思っています。
隠れていた甲斐がありました!

生活の友社 「美術の窓 」一月号 12月20日発売です。

一月号では(上)、二月号では(下)が掲載されます。
是非ご覧になってください。よろしくお願いいたします!

2010年12月16日木曜日

大きな男の小さな話

乗り換えのため、駅の連絡通路を歩いていると、背後から背の高い男が僕を追い越していきました。
色あせた紺色のスタジアムジャンパーに、細くて丈の短いジーンズ、黒い革製のショートブーツを身につけています。
黄色く長い髪を大きく揺らし、改札に向かう階段を上っていきました。

何より彼を印象づけているのは、右手に持った小さな紫色の花です。
花屋で買ったものではありません。弱々しい茎や葉は、手の熱でぐったりしています。
三輪あるその花は、細い水色のリボンで結ばれていました。

こんなにも寒い日に、何故彼は、林に分け入り、花を探さねばならなかったのでしょう。
角張った人差し指と親指が、不器用に紫色の花を摘みます。


寒い夜は考え事をしていることが多いです。
結露で曇った窓際に、冬に咲く花が欲しいと思いました。

2010年12月13日月曜日

誰かの公園

住宅街に空風の吹き込む場所があります。
そこは誰もいない公園でした。

其処彼処に注意書きがあり、高いフェンスに囲まれています。

小さな子どもが、安心して遊べるような公園にしたかったのでしょう。

ゴミ一つ落ちていない、掃除の行き届いた公園です。
しかしながら、子どもの姿は見えません。

一人ベンチに座ってその理由がわかりました。
見えない視線を感じるのです。
不審な動きをすれば、注意書きがまた一つ増えることでしょう。
心がざわつき、そわそわしてしまいます。

管理者はきっと、この公園で時を過ごしたことが無いのですね。

ただ静かに、遊具が風化していくのを待っています。

2010年12月11日土曜日

月と皿

今夜の月は薄い皿のように見えます。

そういえば、月と皿はよく似た文字ですね。

漢字は絵を土台としてできていると、子どもの頃に教えてもらいました。

月と皿はこんな夜にできた文字なのかも知れません。

2010年12月10日金曜日

首都高オレンジ

深夜、ラジオを聴いていると交通情報が始まりました。

カーテンを閉めきった部屋でも、耳で暗闇に浮かぶ高速道路を俯瞰することができます。

首都高のオレンジ色を思い浮かべると、ぼやけてしまった過去の出来事と結びつきそうで、なかなか去ってくれません。
もし思い出したら、今度は忘れないように、絵の中に忍び込ませようと思っています。

2010年12月6日月曜日

二重まぶた

今年の夏から僕の左目は二重まぶたになりました。

二重まぶたになってから、初めての冬です。
右目より左目の方が、少し寒く感じます。

2010年12月3日金曜日

強い風、橋の上

昨夜の雨がやんだあと、街は暖かな空気に包まれました。
外では、強い風に木々が吹かれて、大きな音を立てています。

朝、何となく歌川広重の名所江戸百景を開くと、近所の川が描かれていたので、そこまで出かけることにしました。

当時は橋が無く、船で渡っていたそうです。

案の定、なんでもない川と空がありました。
いわゆる絵になる風景ではまるで無いのです。

作画の創意で平凡な景色を一変させたのがよくわかります。

土手の上から神社を覗いていたら、下校途中の子どもたちが見えました。
強風に舞う落ち葉が、短パン姿の彼らの足に打ち付け、痛い痛いと飛び跳ねています。

市井の人々が見せる様子は、今も変わらずおかしさを秘めているのですね。