2010年9月26日日曜日

午後のこと

晴れ渡る空は、重たい雲を地平の向こうに追いやりました。

カーテンの隙間から部屋に差し込む強い光は、描き途中のキャンバスに、ガラスの破片のような形を作り、描かれた絵は見えなくなります。

それを見ていると、僕は滅入ってしまいそうになるのです。
その光はどんな絵であっても台無しにしてしまうのでしょうか。

昨夜の激しい雨で、今でもきっと、川は濁っています。

濁った川では、釣り人の気配が消え、小さな魚がよく釣れるそうです。

2010年9月23日木曜日

ポロシャツの重さ

薬局からの帰り道、バニラシェイクを飲みながら歩いていると、ふと家まで走ろうかなぁと思いたちました。

最近ジョギングを趣味にしている方が増えているそうですね。

夜の風が心地よかったので、家を通り越して、そのまましばらく街を走りました。

汗で張り付いたポロシャツとジーンズを洗濯かごに入れると、何かが軽くなった気がしました。

2010年9月18日土曜日

偽物の僕

携帯電話を買い替えようと手続きにむかうと、身分証明書を忘れたことに気がつきました。
持ち物にそういったものがないか探ったのですが、何もなく、一度帰宅することになりました。

何も持たずに自分が自分だということを、人に信じてもらうのは、とても難しいのですね。

システムに組み込まれることで受ける恩恵は、いつも窮屈さをつれてきます。

手続きをしながら、偽物の僕についてぼんやりと考えました。

2010年9月13日月曜日

驟雨

雨戸を激しく打ち付ける音で、外の雨に気がつきました。
タイミングがつかめずに、もう一ヶ月くらい僕の部屋は、雨戸を閉め切っています。

雷も鳴り始めたので、外の様子が気になりだし、久しぶりに雨戸を開けました。
すごく派手だなぁと感心して、写真を何枚も撮ったのですが、目の前の様子とはどうも違ってしまいます。

絵で描いた方が、少しは感じを出せそうです。
今日の雷を記憶しておこうと、しばらく見ていたら、なんだか繰り返しでつまらないものに思えてきました。

再び雨戸をしめると、雨もぱたりとやんでしまいました。

2010年9月12日日曜日

地下の地上

特に目的もなくうろうろしていたら(迷っていたら)、このロッカーが出現しました。

これをつくった人は、駅構内の殺伐とした感じを憂いていたのでしょうか。
スケール感の趣味が自分と似ていて、思わずシャッターを切りました。

地下鉄の駅は、つるつるとざらざらが乱暴にぶつかり合っている場所が多いです。
きれいな駅にでも、所々に現れる汚れた壁や床は、どこか生き物めいています。

2010年9月9日木曜日

雨が降って、自画像を描きたい

しばらくぶりに雨が降りました。

ついこの前まで、息が白かった気がします。

庭に小鳥がやってきて、部屋にこもって絵を描いていたら、蝉の声が聞こえてきました。

そして昨日の雨は、街を次の季節に運んだようです。


時間ができたら、久しぶりに自画像でも描きたいなと思っています。

2010年9月5日日曜日

空っぽのあたま

あたまの中を探っても、描くようなことは何も残ってないと思うことがあります。

まいったなぁと、何となく紙に一本線を引くと、線が形を呼んで、形が言葉を呼んで、言葉が記憶と結びつきます。

記憶から形が生まれることばかりではないのですね。

そして、描くこと自体が一つの体験だと思い当たりました。

2010年9月1日水曜日

誘惑からグリューネバルト

8月の個展以降は、二階の自室で制作しています。
100号くらいまでなら階段で持ち運びすることができるので、今まで制作していた一階から引っ越したのです。

冷房もあり快適なのですが、読んでいない本やベットが視界に入り、誘惑されます。
作品が軌道に乗れば、気にならなくなるはずなので、もう少しの我慢です。

誘惑といえば、聖アントニウスの誘惑が思い浮かびます。
たくさんの作家がこの画題に挑戦していますが、個人的にはグリューネバルトの作品が好きです。
誘惑されているどころか髪を引っ張られているアントニウスが印象的です。

グリューネバルトの作品は、ディティールを見てくと、線描を効果的に使っています。
心臓の鼓動を想起させる線の震えは、鑑賞者を絵の中にだけではなく、作者の中にまで引き込むようです。