2016年8月27日土曜日

夏の終わりの風景

水平線上にどこまでも並ぶ入道雲。
飛行機が頭上にある太陽と交差して、黒いシルエットとなりました。
晴れた日のベランダでは、朝に干したシャツが、正午にはほとんど乾き、風に揺れています。
まだ暑さが残ってはいますが、蝉の声は一時の勢いを失っているようです。
去り行く夏を惜しみながら、庭先のプールではしゃぐ子どもの声が聞こえてきました。

2016年8月23日火曜日

夕刻の嵐

ドアを開けると風雨が吹き込み、一瞬のうちに玄関が水浸しになりました。
日本列島の上を台風が通過しています。
通りを歩くと傘は裏返り、手に持った麻のジャケットは元の色がわからないほど濡れてしまいました。
駅に着くと電車は遅延し、僕は途方に暮れます。
大きなため息が一つ、左右のスニーカーはたっぷり水を吸って、足取りは重くなりました。

仕方なく家まで引き返し、シャワーを浴びて新しいシャツに着替えました。
この一時間弱の出来事が、本当にあったことなのかどうかが、わからない気がしました。
確かに部屋には濡れたジャケットが干してありますが、それだけでは証拠として不十分に思えます。

時折このように自分のしたことが信頼できないことがあります。外で話している自分、家で絵を描いている自分。どちらも不確かな存在だと感じるのです。

そんなときでも絵は確かに手元にあり、その絵について話していることに、僕は疑いを持っていません。
だから僕の絵は自分以上のものなのです。

2016年8月22日月曜日

乾いた音

重く分厚い雲の切れ間から太陽が見えました。
そこだけに日常性があるように感じましたが、実際には普段でも晴れた日ばかりではなく、曇りや雨の日もあります。
敢えていうようなことでもない空模様でも、酷い災害を引き起こす台風が来ても、やはりそれは日常の一部であると思い直しました。

電信柱の側に落ちていた蝉を掴むと、大きな鳴き声をさせながら羽を動かしました。
まだ生きていたことに驚き、近くにあった木にとめると、最後の力を振り絞って飛び上がり、幾度か壁にぶつかって、また地面に踞りました。
壁にぶつかる乾いた音が耳に残ります。
眠るように終焉をむかえる蝉に、いらない波風を立ててしまったことを恥じました。

2016年8月20日土曜日

白粉花の色水

僕の記憶は、いくつもの事物が重なり、所々溶けて、境目がわからなくなります。
それぞれ記憶の重要性とは関係なしに、そのようなことが起こるようです。
新しい記憶は古い記憶の沼に沈み、何かのきっかけで、再び表に出てくることを待っています。

今日も東京は、時折雷雨に見舞われました。
窓ガラスには横殴りの雨が、無数の縦縞を作っています。
僕はただそれをぼんやりと見ながら、白粉花で作った色水のことを思い出していました。

2016年8月19日金曜日

土の匂い

雷鳴が空に轟き、窓ガラスを揺らしています。部屋の電気を消して、稲妻の明るさを見ることにしました。きっと僕の顔は蒼白く光っているでしょう。

しばらくすると、街は静けさを取り戻しました。
土の香りがアスファルトの道路を包んでいます。
雨がまた空へと戻る時、原初の風景を思い起こさせました。

2016年8月18日木曜日

飛び跳ねた魚

葦が茂る小道を自転車で走っていると、トンボが車輪に纏わり付き、僕はスピードを落としました。

肌を焼く日差し。不安定に進む自転車、僕の身体。

小道を抜けると、蓮池がありました。
風が波のように葉を揺らします。

池の真ん中で、魚が飛び跳ねました。
沼の底からやってきた魚。一瞬の出来事。
波紋が広がり、池の渕に打つかって、小さな飛沫となりました。