2011年1月30日日曜日

くしゃみ

昼下がりの列車に外光が差し込み、車内を漂う埃が浮かび上がりました。
車窓から見える景色はゆっくりと移り変わっていきます。

目的地が近づいているのですが、席から動きたくありません。
このまま列車に揺られていようかと思案していると、不意にくしゃみが二度でました。

近くに座っていた、腰に大きな尻尾をつけた女性が、迷惑そうに席を離れます。

僕は身体を動かす合図を受け取り、目的地で下車することにしました。

2011年1月23日日曜日

拾う人


川沿いの道に、落ちている葉っぱやコンクリートのかけらを拾う人がいました。
興味の向くままに道を横断し、車は彼の動きに警戒しながら、隣りを通り過ぎていきます。

彼のことが気になりやや後方から様子をうかがっていると、突然後ろを振り向き、僕に微笑みかけました。
葉っぱと同じように何かを拾われたのです。

帰り道、拾ったものをしまう箱のことを考えました。
箱に入れたっきり、見返すことはないのかも知れません。彼は多くのものを拾いすぎています。

靴音がいつもより高く響きました。

2011年1月22日土曜日

隠し球(下)

「美術の窓」2月号「山下裕二の今月の隠し球」で取りあげてもらいました。
先月号からの続きで、「僕の暮らす街」で育まれた心象風景(下)という文を書いてもらっています。是非お手に取ってみて下さい。

生活の友社 「美術の窓」二月号 1月20日発売

ホームページのworksに2010年の作品を更新しました。
重ねてよろしくお願い致します。

2011年1月20日木曜日

黒い煙

朝方、近所を散歩していると、知らないおじいさんに声をかけられました。
「この辺りで黒い煙があがっていたのだけど、知ってるかい?」

僕にはまるで心当たりがなかったのですが、10分程、彼と歩くことになりました。
幼少の頃から、知らない人には付いていかないようにと教育を受けてきたのですが、黒い煙の誘惑に負けて話し込んでしまったのです。

大きな空き地沿いの道路で、燃えるようなものは何も見当たりません。

彼は天気や定年後の趣味の話をしてくれました。切り絵をやっているそうです。
僕も油絵を描いてるというと、若いのにいい趣味だねと褒めてくれました。

なかなか楽しかったのですが、家が近づいてきたので、黒い煙の話に戻そうとすると、「ではまたどこかで」と言い残し、道沿いの交番の中に入っていってしまいました。

黒い煙の向こうに、おじいさんの笑顔が見えます。
再び会うことは、おそらくないでしょう。
次第に彼と煙が混ざり合い、ついには思い出せなくなりました。

2011年1月19日水曜日

夜の看板

工場跡地に看板が立ちました。
夜になると、どこか神聖な雰囲気です。

この空き地にはとても相性のいい看板だと思いますが、近いうちに大学が建設され、この看板は撤去されるそうです。

2011年1月15日土曜日

あれこれその絵

5つの電車を乗り継ぎ、大きな神社のある街まで行きました。
境内にある美術館が目的地です。

建物自体は厳格な形なのですが、中心の広場にイサムノグチの「こけし」という可愛らしい彫刻が設置されており、それがそのままこの美術館の印象になっています。

展覧会は美術における人間の表現を、大正、昭和の洋画を中心に追っていくものでした。
この年代の作品には汗ばむような、独特の湿度があります。

松本竣介の「立てる像」を見ていたら、知らぬ間に10人ほどの子どもたちに囲まれていました。
口々に「これだよ、これ!」と話しています。
教科書に載っていたのでしょうか。

心の中で「そうだよ、これなんだよ」と彼らに話しかけました。
僕の使った教科書にも、この絵が載っていたことを覚えています。

しばらくして、散り散りになった子どもたちは、ガラスの扉に吸い込まれるように姿を消しました。

2011年1月12日水曜日

名のある雲

友人が、慌てた口調でいいました。
「外に君の絵に合いそうな雲があるよ。」

急いでベランダに出てみると、おかしな形の雲が浮かんでいます。

僕の絵を理解してくれていたことがうれしくて、忘れられない雲になりました。
その雲には、彼の名前を付けようと思っています。

2011年1月10日月曜日

飴色の夜

飴色のブーツを買いました。
新しい靴は自分を普段とは違った場所に運んでくれます。

滅多に電車の通らない踏切で足止めされました。
道には黒い手袋が落ちています。
短い貨物列車は何を積んでいるのでしょう。

空には下弦の月が浮かび、頬や耳は痛いほど冷たいのに、ポケットにいれた掌は汗ばんでいます。
民家に目をやると、猫が目を光らせていました。

2011年1月3日月曜日

思い出のバルテュス

バルテュスは自分の制作を、未習得の言語で小説を書いているようなもので、絶望的だと言っていたそうです。

10年前に彼が亡くなって、その年に発売された画集を見ています。
僕が最初に買った画集でした。

デフォルメされた空間と何度も強く塗り込めた絵肌を見て、これが油絵なのだと思ったものです。
バルテュスを介してピエロ・デラ・フランチェスカやプッサンに興味をもちました。

彼の作品の中には、日本の古い絵画をテーマにしたシリーズがあります。
他の作品に見られる、身に付いた密度の高い立体表現は見られず、平坦で奥行きのない表現です。習作的な意味合いが強く見えます。
バルテュスは初期ルネサンス絵画に通じる、日本の絵画の平面性に特に着目しているようです。

僕はこの絵を見ると、心がひりひりします。

「未習得の言語で小説を書いているようなものだ。」
その言葉が切実に響いてくるのです。

新しい年になりました。

僕にとっても制作中はわからないことばかりです。
バルテュスは絶望的だといいましたが、一方でやりがいも感じていたのではないでしょうか。

問題を打開するには、もっと工夫をして描かなくてはなりませんね。
本年も宜しくお願い致します。