2010年12月31日金曜日

今年の成果、少し手前

気になる事柄があり、それに関わる本を探したり、まとめたりしています。

普段、絵が求めることを現実に置き換えて描く。ということを制作においてやっているのですが、一年ほど前から、現実にはないことを絵に求められ始め、どう応えたらいいものかと様々な方向であたっていました。

描く対象はこの一年でわかってきたのですが、そこに絵画の表現様式を持ち込まなければ、この問題は解決しないと考えています。

しかもそれが一つではなく、様式の複合によって実現できるというところまでわかってきました。
そして、その複合の過程と結果が今の関心事なのです。

もう少しで成果を出せそうですが、今年もあと一日で終わりです。
来年には実践でお見せできたらいいなと考えています。

2010年12月29日水曜日

暖房をつけて下地の作業をしていると、部屋の空気が澱んできます。
これでは眠れないなと思い、3つある窓のうち、2つを開けることにしました。

ぐんぐんと気温が下がります。
部屋と外の空気がひと繋がりになり、境界がなくなりました。

いい気分になった僕は、3つ目の窓を大きく開け、部屋の明かりを消すことにします。

空からは目には見えない物質が、常に降り注いでいるそうです。
あまりにも小さいため、僕の身体さえ通過してしまいます。

ときどき僕が空っぽになることは、そんな穴だらけの身体のせいだったのかもしれません。

2010年12月24日金曜日

もう一つの顔

「アートコレクター」という月刊誌の、風景画特集で紹介していただきました。
編集部の方のご厚意に感謝しております。


古い美術雑誌を読んでいると、小さな図版に目が釘付けになることがあります。それが例えモノクローム印刷だったとしてもです。
時の経過という厳しい風に晒されながら、今なお魅力を放つことに胸を打たれるのです。

僕はそのような体験を繰り返しながら、絵に入り込んでいったように思います。
部屋で小さな情報を紡ぎ合わせて、胸を高鳴らせていたのです。

いまだに美術館にいくと緊張します。
実物の絵はいつでも一つで、揺るがないからです。

僕の描く絵も同様に一つですが、このように紙面に載せてもらうことで、もう一つの顔を得ることができたように思います。

もう一つの顔が、実際の作品への入り口となってくれることを強く望みます。

生活の友社 「アートコレクター」二月号 12月25日発行

「美術の窓」一月号と合わせて、是非ご覧になってください。よろしくお願い致します。

2010年12月23日木曜日

美術新聞

家に帰ると、ポストに「美じょん新報」と判の押された封筒が届いていました。
「美じょん新報」といえば、今年の2月に開かせていただいたスルガ台画廊での個展を紹介していただいた美術情報誌です。
中を見てみると、11月の個展を瀧悌三先生が批評してくださっていました。

新聞のような形式のこの冊子には趣があり、どこか前時代的な雰囲気です。

浪人時代に読んだ、平山郁夫先生の本に、初めて新聞に自分の作品の批評が載せられたとき、とても感動したという一文がありました。
時代は違いますが、駆け出しの僕もその端的な表現の批評がとても大事なことに思え、うれしかったのです。


ビジョン企画出版社 「美じょん新報」第135号  12月20日発行

2010年12月20日月曜日

隠し球

月刊誌「美術の窓」の「山下裕二の今月の隠し球」という連載に取り上げていただきました。

山下裕二先生の文章は、以前から興味深く読ませてもらっていたので、今回、自分のことを書いていただき、とても驚き、うれしく思っています。
隠れていた甲斐がありました!

生活の友社 「美術の窓 」一月号 12月20日発売です。

一月号では(上)、二月号では(下)が掲載されます。
是非ご覧になってください。よろしくお願いいたします!

2010年12月16日木曜日

大きな男の小さな話

乗り換えのため、駅の連絡通路を歩いていると、背後から背の高い男が僕を追い越していきました。
色あせた紺色のスタジアムジャンパーに、細くて丈の短いジーンズ、黒い革製のショートブーツを身につけています。
黄色く長い髪を大きく揺らし、改札に向かう階段を上っていきました。

何より彼を印象づけているのは、右手に持った小さな紫色の花です。
花屋で買ったものではありません。弱々しい茎や葉は、手の熱でぐったりしています。
三輪あるその花は、細い水色のリボンで結ばれていました。

こんなにも寒い日に、何故彼は、林に分け入り、花を探さねばならなかったのでしょう。
角張った人差し指と親指が、不器用に紫色の花を摘みます。


寒い夜は考え事をしていることが多いです。
結露で曇った窓際に、冬に咲く花が欲しいと思いました。

2010年12月13日月曜日

誰かの公園

住宅街に空風の吹き込む場所があります。
そこは誰もいない公園でした。

其処彼処に注意書きがあり、高いフェンスに囲まれています。

小さな子どもが、安心して遊べるような公園にしたかったのでしょう。

ゴミ一つ落ちていない、掃除の行き届いた公園です。
しかしながら、子どもの姿は見えません。

一人ベンチに座ってその理由がわかりました。
見えない視線を感じるのです。
不審な動きをすれば、注意書きがまた一つ増えることでしょう。
心がざわつき、そわそわしてしまいます。

管理者はきっと、この公園で時を過ごしたことが無いのですね。

ただ静かに、遊具が風化していくのを待っています。

2010年12月11日土曜日

月と皿

今夜の月は薄い皿のように見えます。

そういえば、月と皿はよく似た文字ですね。

漢字は絵を土台としてできていると、子どもの頃に教えてもらいました。

月と皿はこんな夜にできた文字なのかも知れません。

2010年12月10日金曜日

首都高オレンジ

深夜、ラジオを聴いていると交通情報が始まりました。

カーテンを閉めきった部屋でも、耳で暗闇に浮かぶ高速道路を俯瞰することができます。

首都高のオレンジ色を思い浮かべると、ぼやけてしまった過去の出来事と結びつきそうで、なかなか去ってくれません。
もし思い出したら、今度は忘れないように、絵の中に忍び込ませようと思っています。

2010年12月6日月曜日

二重まぶた

今年の夏から僕の左目は二重まぶたになりました。

二重まぶたになってから、初めての冬です。
右目より左目の方が、少し寒く感じます。

2010年12月3日金曜日

強い風、橋の上

昨夜の雨がやんだあと、街は暖かな空気に包まれました。
外では、強い風に木々が吹かれて、大きな音を立てています。

朝、何となく歌川広重の名所江戸百景を開くと、近所の川が描かれていたので、そこまで出かけることにしました。

当時は橋が無く、船で渡っていたそうです。

案の定、なんでもない川と空がありました。
いわゆる絵になる風景ではまるで無いのです。

作画の創意で平凡な景色を一変させたのがよくわかります。

土手の上から神社を覗いていたら、下校途中の子どもたちが見えました。
強風に舞う落ち葉が、短パン姿の彼らの足に打ち付け、痛い痛いと飛び跳ねています。

市井の人々が見せる様子は、今も変わらずおかしさを秘めているのですね。

2010年11月30日火曜日

川原の台

川岸の道を歩いていると、高さ70センチ程の、コンクリートの台があります。

何度か通った道ですが、前には気がつきませんでした。
夏には、背の高い雑草に隠れていたのでしょう。

そこに腰をかけ、一息つくことにしました。頭上にはドーナツ型の雲が浮かんでいます。

東に見える雲の下には、きっと海があるでしょう。

夕方になったので、西にある家に帰りました。

2010年11月25日木曜日

部屋の住人

部屋に戻ると、窓際の植物が床に落下していました。

彼らの仕業では決してありません。

2010年11月22日月曜日

午後三時の河川敷で、少年たちが野球の練習をしています。
行き来する黄ばんだボールを見ながら、かつては僕も彼らの一人だったことを懐かしみました。

この河川敷にはたくさんの蟹がいます。
子どもの頃、川の近くにある穴を掘り起こしてよく捕まえたものです。

ある日、いつものように小さな蟹を追っていると、不意に指を挟まれました。

小さな身体ですが、その鋏には、大きな力があるのです。
慌てて身体を引っ張ると、鋏と身体が離ればなれになってしまいました。

指に残った鋏のことを今でもよく覚えています。
地面に叩き付けられた蟹は僕の指に鋏だけを残し、よろよろと穴を探しました。

それ以来、蟹を捕っていません。

ボールを後ろにそらした少年がそのときの自分と重なりました。

2010年11月19日金曜日

秋の日

暖かい部屋から空の様子を見ていると、大きなカラスが北の森に向かっていきました。
北の森にはカラスの巣があります。
そこは昼間でも薄暗く、木に囲まれているせいか、カラスの鳴き声がよく響くのです。

年老いたカラスの身体に落ち葉が積もっていき、じきに姿が消えてしまう。
そんな甘美なイメージを反復していたら、一日が過ぎました。

久しぶりにゆったりとした気持ちです。

Shonandai Galleryでの個展にお越しいただいた皆様、ありがとうございました!

2010年11月16日火曜日

襟巻き

マフラーのことを襟巻きと呼んだら、おじいさんみたいだねと、少し笑われました。
最近では、あまり使わない言葉なのかもしれません。

昨夜の雨から街の空気が冷え込んできたように感じます。

2010年11月10日水曜日

住みたい住めない住処

11日から六本木のShonandai Galleryさんで個展を開かせていただきます。
時間、場所などの詳細は、ホームページのexhibitionに載せましたので、そちらをご覧ください。

展覧会の題になっているように、住居をテーマにした展示です。

よろしくお願い致します!

2010年11月5日金曜日

珈琲とバッテラ

眠気覚ましに珈琲をいれたあと、何か食べ物がないかと冷蔵庫をのぞきました。

バッテラがあります。

珈琲もバッテラも好物ですが、いかにも相性が悪そうです。

僕は様々なものを組み合わせて絵を描いています。
もしかしたら、珈琲とバッテラのようなものを人に食べさせているのかも知れません。


弱気な心を打ち消すために、珈琲とバッテラを合わせて食べると、あまりの不味さにすっかり目が覚めました。

2010年10月30日土曜日

アングルと3D画像

かつてアングルは白黒写真をみて、不正競業だと訴えたそうです。

最近では3D画像の進歩が注目を集めています。

アングルは呆れて、ため息をひとつ漏らすだけかも知れません。

2010年10月26日火曜日

笠地蔵

外で何かを引きずる音が聞こえます。

その音自体、不吉な響きを持っていますが、朝になったら笠地蔵のような結末が待ってるかも知れません。

自分の行いを振り返りました。

どうやらあまり期待しない方がよさそうです。

2010年10月23日土曜日

絵になった風景

僕には何が絵になるモチーフなのかがわかりません。
描いてみると、大抵のものは、したり顔で僕の絵の中に居座ります。

絵になる風景がどんなものなのかはわかりませんが、絵になった風景とは親しい仲なのです。

2010年10月17日日曜日

サイレン

午前四時半、外はまだ暗いです。

先ほどから、遠くでサイレンの音が聞こえます。
パトカーが誰かを追っているのでしょう。

追う方も追われる方も、本当は飽きていて、家に帰りたいに違いありません。
陽が昇る前に、サイレンの音は止むはずです。

そろそろ、電車が動き始めます。

2010年10月15日金曜日

おまけ

用事の前に少し時間があったので、近くの美術館にふらっと入りました。

技術面の確認をしたかったので、15世紀頃の作品を中心にみます。
テーマや全体の構図は見慣れたものですが、ディティールの工夫がそれぞれになされていて、おもしろかったです。

よく見ると、ほんの数筆で描かれた人物が、風景の奥や木陰にいたりします。
テーマと直接には関係がないようですが、その絵の魅力が底上げされていると感じました。

おまけがあるとうれしいですね。

2010年10月10日日曜日

怪我の話

左足の裏を怪我しました。
傷が地面に押されぬように気づかっていたら、今度は右足の膝が痛くなりました。

歩くためには左足の裏で地面を踏みしめなくてはなりません。

決心して、強く一歩を踏み出すと、その傷の浅さに気がつきました。
臆病さは不必要な犠牲を生むことがあるのですね。

しばらくすると、膝の痛みも消えました。
その犠牲すら軽いものだったのです。

おしまい

2010年10月8日金曜日

塔のメモ

最近また一段と高くなってきました。

周辺の雑多な様子とスマートな塔とのコントラストが見物です。

塔に合わせて、街もすました感じに変化していくのでしょうか。
いずれにせよ、街を活性化させることは間違いなさそうです。

工事が進んでいくのはうれしいのですが、建設途中の期待感がいずれ終わってしまうのは残念でなりません。
この塔に関してのプライベートな見方を、文章を書くなり、絵を描くなりして、とどめておきたい気がします。

ランドマークであると同時に、時間軸の重要な目印となるのかもしれませんね。

2010年10月5日火曜日

戦いのとき

部屋にいても、風向きで金木犀の匂いがしてきます。
乱暴な秋のシグナルですね。

気のせいか、飲んでいたミネラルウォーターにも、金木犀の匂いが移ったようです。

今から、いつもより念入りに、濃く香り立つ珈琲をいれようと思います。
時には戦わなくてはならないこともあるのです。

2010年10月2日土曜日

近況報告

カレンダーがパラパラめくれて、あと三枚になりました。

最近は部屋でチョコレートばかり食べています。
やさしい形のショートブーツと、しっとりとした着心地のシャツが欲しいです。

2010年9月26日日曜日

午後のこと

晴れ渡る空は、重たい雲を地平の向こうに追いやりました。

カーテンの隙間から部屋に差し込む強い光は、描き途中のキャンバスに、ガラスの破片のような形を作り、描かれた絵は見えなくなります。

それを見ていると、僕は滅入ってしまいそうになるのです。
その光はどんな絵であっても台無しにしてしまうのでしょうか。

昨夜の激しい雨で、今でもきっと、川は濁っています。

濁った川では、釣り人の気配が消え、小さな魚がよく釣れるそうです。

2010年9月23日木曜日

ポロシャツの重さ

薬局からの帰り道、バニラシェイクを飲みながら歩いていると、ふと家まで走ろうかなぁと思いたちました。

最近ジョギングを趣味にしている方が増えているそうですね。

夜の風が心地よかったので、家を通り越して、そのまましばらく街を走りました。

汗で張り付いたポロシャツとジーンズを洗濯かごに入れると、何かが軽くなった気がしました。

2010年9月18日土曜日

偽物の僕

携帯電話を買い替えようと手続きにむかうと、身分証明書を忘れたことに気がつきました。
持ち物にそういったものがないか探ったのですが、何もなく、一度帰宅することになりました。

何も持たずに自分が自分だということを、人に信じてもらうのは、とても難しいのですね。

システムに組み込まれることで受ける恩恵は、いつも窮屈さをつれてきます。

手続きをしながら、偽物の僕についてぼんやりと考えました。

2010年9月13日月曜日

驟雨

雨戸を激しく打ち付ける音で、外の雨に気がつきました。
タイミングがつかめずに、もう一ヶ月くらい僕の部屋は、雨戸を閉め切っています。

雷も鳴り始めたので、外の様子が気になりだし、久しぶりに雨戸を開けました。
すごく派手だなぁと感心して、写真を何枚も撮ったのですが、目の前の様子とはどうも違ってしまいます。

絵で描いた方が、少しは感じを出せそうです。
今日の雷を記憶しておこうと、しばらく見ていたら、なんだか繰り返しでつまらないものに思えてきました。

再び雨戸をしめると、雨もぱたりとやんでしまいました。

2010年9月12日日曜日

地下の地上

特に目的もなくうろうろしていたら(迷っていたら)、このロッカーが出現しました。

これをつくった人は、駅構内の殺伐とした感じを憂いていたのでしょうか。
スケール感の趣味が自分と似ていて、思わずシャッターを切りました。

地下鉄の駅は、つるつるとざらざらが乱暴にぶつかり合っている場所が多いです。
きれいな駅にでも、所々に現れる汚れた壁や床は、どこか生き物めいています。

2010年9月9日木曜日

雨が降って、自画像を描きたい

しばらくぶりに雨が降りました。

ついこの前まで、息が白かった気がします。

庭に小鳥がやってきて、部屋にこもって絵を描いていたら、蝉の声が聞こえてきました。

そして昨日の雨は、街を次の季節に運んだようです。


時間ができたら、久しぶりに自画像でも描きたいなと思っています。

2010年9月5日日曜日

空っぽのあたま

あたまの中を探っても、描くようなことは何も残ってないと思うことがあります。

まいったなぁと、何となく紙に一本線を引くと、線が形を呼んで、形が言葉を呼んで、言葉が記憶と結びつきます。

記憶から形が生まれることばかりではないのですね。

そして、描くこと自体が一つの体験だと思い当たりました。

2010年9月1日水曜日

誘惑からグリューネバルト

8月の個展以降は、二階の自室で制作しています。
100号くらいまでなら階段で持ち運びすることができるので、今まで制作していた一階から引っ越したのです。

冷房もあり快適なのですが、読んでいない本やベットが視界に入り、誘惑されます。
作品が軌道に乗れば、気にならなくなるはずなので、もう少しの我慢です。

誘惑といえば、聖アントニウスの誘惑が思い浮かびます。
たくさんの作家がこの画題に挑戦していますが、個人的にはグリューネバルトの作品が好きです。
誘惑されているどころか髪を引っ張られているアントニウスが印象的です。

グリューネバルトの作品は、ディティールを見てくと、線描を効果的に使っています。
心臓の鼓動を想起させる線の震えは、鑑賞者を絵の中にだけではなく、作者の中にまで引き込むようです。

2010年8月29日日曜日

パンの匂い

子どもの頃に住んでいた街に行ってきました。
車では時折通るのですが、歩くのは久しぶりです。

だいぶ様子が変わったなぁと感じていた矢先、懐かしくて甘い匂いがしてきました。

そういえば、通っていた小学校の近くには大きなパン工場があり、夕方になるとこの小さな街は、パンの香りに包まれるのでした。

放課後のベランダから見た校庭。
走り回る少年に踏まれて、かすれてしまった石灰の線。
それを見ている小さな自分。

パンの匂いが時間を逆流させ、どこか頼りない気持ちになりました。

2010年8月28日土曜日

張りぼての記憶

何かを思い出そうと、朝まで起きていることがあります。

漠然としているので、はじめは特に何も出てこないのですが、靄がかった記憶をうろうろするうちに、それが次第に輪郭をもちはじめます。

そうやって生まれた張りぼての記憶は、精巧に改ざんされた記憶よりも、僕には親しげに思えるのです。


幕内政治さんのex-chamber museumにNICHE GALLERYでの個展のレビューを載せていただきました。
僕は展示風景をあまり熱心に記録する方ではないので、こういったかたちで残していただけるのはとてもありがたいです。

2010年8月27日金曜日

欠けた月

部屋の蛍光灯を新しくしたので、ベットに横たわって調子を見ていたら、つけっぱなしで眠ってしまいました。
目覚めるとやや頭がきしみ、ため息がでます。

蛍光灯を休ませて、カーテンを開けると、少し欠けた月がでていました。

完璧さを求めると納得のいかないことが多すぎるようです。
こんな睡眠でも受け入れるしかないのですね。

頭痛も直に治まるはずです。

2010年8月23日月曜日

自立した絵

アトリエで見る作品と、展示会場で見る作品は、どこか様子が違います。
アトリエでは僕に悩みを打ち明けるのに、展示されると澄まして僕の方に目をむけません。

そうやって自立していった作品を見ていると、僕は無性に次の絵を描きたくなるのです。

NICHE GALLERY での個展にお越し下さった皆様、誠にありがとうございました。

2010年8月17日火曜日

揺れる境界

ここ数日、暑い日が続いていますね。
街の空気が熱をはらみ、身体にまとわりついてきます。

空気と身体が触れるのをはっきりと感じることができ、その境界が揺れるたびに暑さを感じるようです。

2010年8月15日日曜日

身体と空のこと

午後五時、電車に揺られていると、不意に視界がひらけ、建物の間から空が見えました。

低い太陽に強く照りつけられ、透明感を増した雲は、光を受け止めきれず、雲と地上は光の帯で繋がります。

多くの場合、僕の生活や制作は身体を尺度としていますが、空模様の変化を目前にしたとき、僕の身体は消えてしまい、尺度を空にあけわたしてしまうように感じます。

僕は空をよく描くのですが、すべて想像で描きます。
それは現実の空を、自分の身体では測ることができないからです。

2010年8月11日水曜日

既知の地平

8月16日から「既知の地平」というタイトルで個展が始まります。

現状に閉塞感を感じることがありますが、既知という壁に向かい合って制作することで、未知の広がりを見つけたいと思い、このタイトルをつけました。

場所時間等の詳細は、ホームページのexhibitionにのせましたので、そちらをご覧ください。

2010年8月4日水曜日

お知らせ

「メンタルマップ」

既知のA地点からB地点まで移動する。した。
AB間をつなぐ未知の線ab。
未知だった線abと未知であり続ける線abを描いた。


3日から府中市美術館市民ギャラリーで中径展というグループ展が始まりました。
上記の文が自分の作品内容です。

場所時間などの詳細はホームページのexhibitionに載せました。
よろしくお願い致します。

2010年7月31日土曜日

浮かぶ身体

テレビ中継された花火大会の音と、窓外から聞こえる花火の音がリンクしたとき、自分の位置が部屋とモニター越しの会場とに分散し、身体が浮かび上がった感じになります。

2010年7月22日木曜日

コバルトブルー

梅雨もあけて本格的な夏ですね。
制作場所に冷房がないため、描いてるだけで汗ばみます。

作品と比べて部屋が狭いため、離れて作品を見れないなど不便も多く、昼間は外で描くことにしました。

はじめは日差しや風などが気になりましたが、今はまったく気になりません。

外光で絵具がとてもきれいに見えます。

僕のよく使うコバルトブルーが今日は誇らしげです。
たまには混色しないで使ってあげたいと思います。

2010年7月15日木曜日

現れた傘

帰宅途中の電車の中、傘を持っている自分にとても驚きました。
僕は傘を持って出かけていないし、何しろ今日はよく晴れています。

これまで傘をなくしたことはたくさんありますが、傘が現れたのは初めてです。

誰に返せばいいのでしょう。
梅雨時とはいえ、こんな晴れた日に傘を持ち歩くなんて、持ち主はきっと心配性な人ですね。

今日会った心配性な人に傘をなくしていないか、聞いてみようと思います。

2010年7月11日日曜日

蚊の話

蚊に刺されました。

ふらふらと頭上を旋回し、思った通りの軌道を描いて腕にとまったものですから、とてもきれいで見入ってしまったのです。

そして、もちろん叩きました。

僕の血なのか、つぶれた蚊の血なのかわからなかったのですが、思ったより赤が鮮やかで、頭が揺さぶられる思いでした。

2010年7月7日水曜日

遠くの音、近くの音

部屋の外からけたたましい雨音が聞こえてきました。
最近は夜になると雨が降ることが多いですね。

雨音の隙間に何か他の音が隠れていないかと思い、注意深く耳をすませています。

落ちてくる雨をくぐり抜けて、遠くの方へ意識をもっていったはずなのに、一番近くの、心臓が鼓動する音が聞こえてきました。

2010年7月6日火曜日

勇敢な選択

今日は韓国のフェアに出す作品を集荷にきてもらいました。
部屋から作品が減ると、仕事が徐々に片付いていくのがわかるので、すこしうれしいです。

絵を仕上げていくとき、いくつもの選択肢から一つを選ばなくてはならない場面がよくあります。

難しい選択のときには臆病になって、決断を先送りにしたくなりますが、その場で決めた方が結果はついてくるようです。

最近は8月にある個展に出品する作品を描いています。
手こずっている絵もありますが、勇敢な選択をしていきたいと思います。

2010年6月30日水曜日

眠りに落ちる

就寝前に、真夏のプールをイメージしました。


じりじり照りつける日差しの下、ざらつく飛び込み台を足の裏に感じ、息をころして笛の合図を待ちます。
位置についてからスタートするまでの間は、音だけに集中しているため、自分が耳だけの存在になったようです。

乾いた音が響きわたります。

そしてようやく鳴った音にしびれるのをこらえながら、強く台を蹴るのです。
着水したときには水を冷たく感じますが、次第に身体が熱を持ち、馴染みます。

水底には水面の紋様が映りこみ、水はインクを落としたようなブルーです。
プールの底に塗られた青いペンキは幸せだと思います。

ロスコの赤のように、空間を包みこめるのですから。

そんなことを考えていたら、ターンをする前に眠りに落ちました。

2010年6月27日日曜日

ジダン

少し前に買ったサッカーボールの懸賞で、Tシャツが当たりました。

右が翼くんで左はジダンです。
ジダンは僕の印象と少し違います。

オリンピックやワールドカップで、深夜にスポーツ中継がやっているのは、なんだかうきうきしますね。

2010年6月26日土曜日

一日のはじまり

最近は夜に何かしていると、すぐに朝になってしまいます。

夜と朝とがとなりあっていて、昨日と今日との境がとても曖昧です。
どのように認識すればよいのか決めかねています。

窓の外が朝焼けに照らされて赤く染まるとうれしくなりますね。

月が黄色くなったら夜で、太陽が見えたら朝ではどうでしょう。

曇りや雨の日のことはまた後日考えます。

2010年6月21日月曜日

古い写真と長い髪

資料を探すために、本を整理していたら、9年前に観た展覧会のカタログがでてきました。
ドスタールのような作風で風景を描く画家です。

久しぶりにみると、当時とだいぶ印象が違います。

古いアルバムを開いているような感じで、気がつくとあっという間に時間がたっていました。
ひとつひとつ見ていたら作業がはかどりませんね。

本の間から一枚の写真がでてきました。
昔の自分の姿を見ることは、古い自作を見ることと同様に少し照れます。

写真の中の自分はとても髪が長いです。
子どもの頃、人に頭を触られるのが、とても嫌だったことを思い出しました。


最近、庭の近くにある和室で描いているせいか、蚊がよくでます。
夏になるのは素晴らしいですが、蚊だけは苦手です。

2010年6月16日水曜日

絵具の匂い

普段は慣れすぎて、油絵具に匂いがあることすら忘れているのに、時折、強く香ることがあります。

比喩的な意味ではなく、実際に嗅覚に働きかけるのです。

今日はそんな日でした。
僕には懐かしい匂いです。

何かを思い出しかけそうになります。

2010年6月14日月曜日

連動する腕、雨

ヌードモデルさんのクロッキーをしました。

2分程の短い時間で次々とポーズが変わっていきます。
ポーズや見る角度によって、身体の生み出す線は、弛み震えたり、鋭く伸び上がったりします。

描いていると次第に、モデルさんの身体の動きと、僕の腕の動きが連動し始めます。

モデルさんの動きにつられて、自分の腕が勝手に動くと、知らない自分に出会った感じがします。
この感覚は絵を描く歓びの一つですね。

普段の絵にもそういった感覚を反映できたらよいのですが、まだ考え中です。
今日はまだ腕が動きたがっています。

帰り道、突然の雨にびしょぬれになりました。
たまには悪くないですね。

2010年6月10日木曜日

こぼしたミルク

昼から夕方にかけ、喫茶店の窓際の席で、駅のロータリーを眺めていました。
雨上がりの街では、傘を持っている人と、いない人とが半分ずつ行き交っています。

郊外にあるこの街には、今年に入ってから幾度か訪れています。
僕がその街に行くと、たいてい雨が降ります。

そういう場所は確かにあるのです。
相性でしょうか。


子どもの頃、こぼしたミルクを見て、とっさにテレビゲームのリセットボタンを探したことがあります。

そして、そのことをときどき思い出すのです。

忘れてしまわぬように、そんなものは現実にはないのだと繰り返します。

こぼしたミルクは拭くべきです。

2010年6月4日金曜日

あたらしい魚


新しい水槽を立ち上げました。

近くの池で釣れた魚を飼っています。
今までは熱帯魚を中心に飼育していたので、少々地味に感じますが、よくよく見ると虹色です。
特に魚が進行方向を変えた時には、刃物のような輝きを見せてくれます。

最近では生体を観察することを重視して、レイアウトはシンプルにしていたのですが、今回は魚の隠れ場所をたくさんつくってあげたいと思います。


昨日と今日とがまるっきり違うものに思えることがあります。
変化を受け入れることはときどき難しいです。

水槽の魚は大事にしなくてはいけません。

2010年5月31日月曜日

今日は寒かったけれど

夏にある展示に向けて制作中です。

何枚も同時に描いていくので、たまに頭が混乱することがあります。
いくつかの問題ごとが、回転して、裏返って、元の場所に着地したりで、なかなか忙しないのです。

でもその混乱をあつかって絵を描くことが多いので、文句はいえませんね。
むしろ感謝しなくてはならないのです。

気分を落ち込ませないように、明るい曲を流すことが多いです。
なかでも最近は、夏が待ち遠しくて、 The Beach Boys をよく聴きます。

効果は抜群ですが、出かけたくてそわそわしてしまいますね。
次の晴れた日には、どこかに行こうと思います。

2010年5月25日火曜日

薄明の空、キッチンにて

朝のキッチンにいます。
家人はまだ寝ており、一人きりです。

フィルターにいれた珈琲の粉を、お湯で十分に湿らせると、部屋が親密な香りで満たされました。

時間はゆっくりとではありますが、着実に流れていくのですね。
昨夜の雨はとうにやんでいます。

ベランダにでると、電車の動き出す音が聞こえてきました。

2010年5月24日月曜日

僕の髪はとても黒い

半年ぶりに散髪にいきました。
きっちりとした髪型にすると、洋服が欲しくなります。

久しぶりに切ったので、床に髪の山ができました。
いくつか連なっていたので、山脈といった方がいいのかもしれません。

そして、その山脈がとても黒いのです。

こんなにも黒いものが自分の頭にあっただなんて、嘘のようです。
客観的に自分を見つめることは恐ろしいですね。

隠れていた首が見えるようになりました。
風はまだ少し冷たいです。

2010年5月21日金曜日

帽子が欲しい

昨日から雨がやみません。
外に出ると少し寒く、閉め切った部屋では蒸し暑く感じます。
夏に向かって時間が動きだしているのですね。

長くなった髪をごまかすため、帽子を買いに出かけました。
湿度の高い日は毛先がはねてしまうのです。

お気に入りの帽子があれば、梅雨時の外出も乗り切れますね。

ツートーンカラーの麦わら帽子を見つけました。

試着させてもらい、鏡をのぞくと、後ろ髪がだらしなく見えました。
帽子を綺麗にかぶるためにも、髪を切る必要がありそうです。

2010年5月18日火曜日

カーテンと手のひら

朝起きると、風に乗って太陽の匂いが届きました。
カーテンの輪郭が外の光を受けて、ぼやけています。

「手のひらを太陽に透かして見れば…」
子どもの頃よく聴いた歌です。

そう考えると、部屋全体が、大きな手のひらに包まれているようですね。

ゆらゆら揺れるカーテンと、時折差し込む強い日差し。
心地いい場所であると同時に、抜け出して動き出さなくてはならないという焦りも喚起させます。

寝坊した朝の光景でした。

2010年5月11日火曜日

擬態する人

街に出て行き交う人を眺めています。
春は薄手の服を重ね着をしている人が多いですね。
朝夕で気温差が大きいですから、調節できるのはとても大切なことに思えます。

キミドリ色のシャツを来て公園に行きたいです。

先日、読んでいた本にナナフシが出てきました。
春に明るい色の服を着たくなるのも、擬態と関係があるのでしょうか。

芝生に覆われた築山に寝転がったら気持ちがよさそうです。

2010年5月8日土曜日

困ったこと

風呂上がり、鏡の前で髪を乾かしていたら、不意に自分の顔が、見知らぬ顔に思えました。
そんな時は、どこか所在ない気持ちになり、鏡から目をそらします。

部屋で、身近な人たちの顔や声を、順に思い出しました。

ぼんやりとならわかるのですが、しっかり思い出そうとすると、逆にぼやけてきて、ついにはわからなくなります。
一度わからなくなると、次には思い出せなくなりました。

印象以上のことは残らないようです。
なんだか心が宙ぶらりんになりました。


普段僕は、想像で絵を描くことが多いです。
せめて絵では、間違えてもいいから、はっきり描きたいと思いました。

2010年5月6日木曜日

月の話

最近は朝にスニーカーを洗うと、夕方にはしっかり乾いています。
順調に事が運ぶのは、気持ちがいいです。

それを履いて、街の様子を見に出かけます。

夕方の街は、急ぎ足の人や自転車が行ったり来たりし、昼間より忙しそうに見えますね。
家路についているのでしょうか。

まだ闇になりきっていない空に、黄色くなった月が浮かんでいます。

僕には夕方と夜との境目が、わかりません。
じっと見ていても、気がつくと完全な夜になっていて、今日も境界を見逃したと思うのです。


闇の中で月は、安心しているように見えます。

2010年5月2日日曜日

アイスランド − 東京

取り寄せていた本が届きました。
ヨーロッパから送ってもらったので、アイスランドの火山噴火が影響し、届くのが遅れていました。
楽しみにしていたので、とても待ち遠しかったです。

届いた本の他にも、まだ2冊が足止めされています。

ささやかではありますが、アイスランドの火山噴火が僕の生活に影響を与えているのです。

晴れていたので、ベランダで深呼吸しました。
この空気とアイスランドの火山噴火は関わっているのでしょうか。

2010年4月29日木曜日

最近のエスキーススポット


制作前にどのような作品をつくるか計画することを、エスキースするといいます。

出先で喫茶店を見つけ、そこでエスキースすることが多いです。
できるだけ特徴のない店がいいです。やや長居するため、美味しすぎる珈琲をだされると、申し訳ない気持ちになってしまいます。
店外から覗いた時に、お客さんの半分くらいが本を読んでたり、勉強しているようなお店が望ましいですね。
ノートのようなスケッチブックにボールペンで描きます。

それ自体を見せるために描いていないので、細かなことは気にせず、ラフに描いています。

画像のエスキースもそのように描いたものです。
油絵ではこれをベースにいろいろと仕掛けを作ろうかと思っています。

2010年4月24日土曜日

道に迷って思ったこと

地下鉄に乗り、少し遠くに出かけました。
地上を走っているときの電車は、穏やかでのんきな乗り物に思えるのですが、暗いトンネルを猛スピードで進む電車は、大蛇のように勇敢です。

ホームから地上にあがると、自分がどこにいるのかわからなくなりました。
この近辺は通っていた大学の近くだったので、油断したのです。

じっとしていても仕方がないので、前方にある坂を上りました。名前のついた長い坂で、堂々とした存在感があります。
その昔、何か事件が起こった坂なのかも知れませんね。

子どもの頃、おむすびころりんという昔話が好きでした。
おむすびを落とした穴から、お餅をつく音が聞こえる場面にはうきうきしたものです。

実はこの坂が、おじいさんがおにぎりを必死に追いかけた坂なのかもしれません。そうであったら、どんなに楽しいだろうかと思います。

坂を上りきると、とても有名な神社がありました。
なんだか少しがっかりしました。

道もすっかりわかりました。

今日はもう少し迷っていたかったです。

2010年4月22日木曜日

水底の星



横浜に行きました。
早起きし、時間がたくさんあったので、各駅電車に乗り、ゆっくりと向かいます。
街が徐々に移り変わっていくさまを見ていると、新しい街とも繋がりを持てる気がしますね。

海の近くの川は海水と淡水が混じり、汽水域になっています。
橋から見るヒトデは昼間の星のようです。

帰りの電車では眠ってしまいました。気がつけば夜です。
渋谷にも用事があったのですが、寒くなったのでよしました。
空はどんより曇っています。

昼のヒトデは暗い水底で、眠っているのでしょうね。

2010年4月18日日曜日

寒の戻り


四月に入ったら、多少寒くても冬物のコートは着ないことにしています。
桜も散って、若葉の季節に向かおうかというときに、寒いからといって、冬に戻ったような格好をしたくないのです。

今朝、ポストに新聞を取りに行くと、車にうっすらと雪が積もっていました。
昼前には消えてしまいましたが、四月中旬に雪が降るとは思ってもいませんでした。

近くに出かける用事があったので、ダウンジャケットを着ていきました。
自分の中での決まり事は様々ありますが、臨機応変に行動することも大事だと思います。


ブックカバーを春用に交換しました。
白クマとは、次の冬までしばしの別れです。

2010年4月13日火曜日

花の便り

花をモチーフにした展覧会が始まります。
僕は06年から参加させていただいているので、今年で5年目です。
今年は会場が増え、中浦和のギャラリー健さんと、川口にあるGREEN ART TEAMさんで展示させていただくことになりました。

お子さんからご年配の方まで、様々な方が参加する、アットホームな雰囲気の展覧会です。

自分にとっては一年を経て、どのように作品や考えが変化して来たかを、確認する機会でもあります。

小品一点ずつの出品です。お時間ありましたら是非お越し下さい。


浦和花市展
2010年4月13日(火) - 4月25日(日)
時間11:00:-19:00
※最終日は17:00まで  *月曜休廊
Gallery 健
〒336-0038 埼玉県さいたま市南区関1-1-3
*JR中浦和駅西口前(徒歩0分)

第6回 安行百花展
2010年4月27日(火) - 5月1日(土)
時間:12:00-18:00
GREEN ART TEAM
〒333-0834
埼玉県川口市安行領根岸 外谷田3040-6

2010年4月10日土曜日

サンドイッチと珈琲、そよ風

春ですね。
部屋の空気を入れ替えようと窓を開けたら、滑らかな風が吹き込みうれしくなりました。
遠くで子どもたちの声が聞こえます。

こんな日は昼食にBLTサンドイッチと熱い珈琲がほしいです。それだけでいろんなことがうまくいく気がします。


雲がゆっくりと西の方に流れ、二羽の鳥は絡み合いながら東に向かいました。

2010年4月7日水曜日

鳩の話

少し遠くの街まで出かけました。幾度か行ったことがあるのだけれど、実のところよく知らない、そんな曖昧な街です。
電車からバスに乗り換えて、目的地に向かいます。

次のバスはしばらく来ないようなので、近くの喫茶店に入ることにしました。春とはいえ、外でじっとしているとまだ寒いのです。

窓際の席で外を眺めていると自動ドアから鳩が入ってきました。

その姿には迷いがなく、周囲の人も気にしている様子がなかったので、この辺りではよくあることなのかもしれません。

幼い頃テレビで見た、ペリカンがやってくる幼稚園を思い出しました。
鳩が喫茶店にやって来ても些細なことすぎて、話題にはならないのですね。

しばらく歩き回り、何をするでもなく、出て行きました。

2010年4月3日土曜日

マヨネーズの教え

隣の家の屋根には7年程前からマヨネーズの蓋が乗っかっています。
雨の日も風の日も変わらずそこにありました。

そもそも何故屋根の上にマヨネーズの蓋が乗るような事態になったのでしょう。
猫のいたずらか、つむじ風か…可能性はいくつも思いつくのですが、決め手がないのです。

今日の朝、新展開がありました。

カーテンを開け、何気なくその蓋に目をやると、なんと無くなっていたのです。
僕の心は乱れました。

昨日と今日とではマヨネーズの蓋にとって、どう違ったのでしょう。

自分にとってはなんでもない一日が、ある人にとっては節目の日だったりします。

マヨネーズの蓋は旅立ちました。のんびりしていられないです。

2010年3月30日火曜日

帰り道の出来事


絵の具を買いに上野まで行ってきました。
上野公園の桜は六分咲きといったところでしたが、花見客でとても賑わっています。

桜の様子をひとしきり見たあと、作品の構想でも練ろうと思い、帰り道は歩くことにしました。
道はわからなかったのですが、電車で渡る3本の川を越せば家に着くだろうと思い、橋を探しながら進みました。

新しい街には人の気配がなく、古い街には気配を感じました。街と人がなじむのには、時間が必要なのだと思います。

三時間程歩いたのですが、その間に二度、人と言葉を交わしました。
一度目は僕が「ここはどこですか?」と交通整備の人に尋ね、二度目は男性に「警察署はどこですか?」と聞かれました。

もちろん僕も警察署の場所を知りませんが、その人には知っているように見えたのですね。
やや考えてから、わからないと伝えました。

そのあと、彼が警察署を探す理由について考えました。
落とし物なら交番でいいはずだし、自首するにしては落ち着いていましたので、おそらく落とし物と自首との中間の出来事が彼に起こったのだと思います。

袖振り合うも他生の縁という言葉を思い出しました。
交通整備のおじさんや警察署を探していた彼が、明日は道に迷っていないことを願います。

2010年3月25日木曜日

お疲れ様の張り器


作業中にキャンバス張り器が壊れました。初めて購入した自分用のキャンバス張り器です。10年間使いました。

壊れた張り器をながめながら、絵を描き始めてから10年間たったことに気がつきました。
うまくなりたい一心で描いていたら、あっという間に10年です。

今は進むだけで、振り返るようなことは何もありませんが、美術がすごくおもしろいことはわかりました。
自分にどれだけのことができるのか、試してみたいです。

明日、次の張り器を買いに行きます。楽しみです。

2010年3月22日月曜日

散歩とキャンディ

となりの町まで電車に乗りました。
普段は歩いて行ったり自転車で行くのですが、今日は電車です。
何か変わったことがないか、パトロールするように車窓から外を眺めました。

幸い何の異常もなく次の駅につき、改札を出てとりあえず東の方に向かいました。

知ってる道から知らない道に入り、また知っている道に出ると、あの道とこの道は繋がっていたのかと驚くことがあります。

今日は歩きながら、キャンディという言葉について考えました。
言葉自体が透明感のある、鮮やかな色彩を持っていると感じます。

2010年3月18日木曜日

名もなきパンダ


ある日、歩道橋の上でパンダと出会いました.

目が離せなくなりました。

おそらくパンダの割れた部分にセメントを埋め、棒でわからないようにつなげたのでしょう。
一見ごまかせますが、人の心に違和感を残します。

ミッフィーには鼻がなく、キティには口がありません。

作者はこのパンダに鼻も口もつけませんでした。
強い意欲が伺えますね。

大昔の絵描きは作品にサインすら入れなかったそうです。そういった無名の作家たちの熱い作品に胸を打たれる事があります。
もしかしたらそういった精神は現代でも生き続けているのかもしれません。

2010年3月15日月曜日

貝殻と三月の海のこと


海に行ってきました。
三月の海はまだまだ寒く、陽気な姿を見せてはくれませんでした。岩場で小さな貝殻を集めながら、家に帰ったら明るい気持ちになれるような絵を描こうと思いました。

その日、無数にある貝殻のうち100個程を拾い上げ、20個程を袋に入れました。

2010年3月11日木曜日

待ち受け画像の神秘

少し古い話題ですが、パワースポットというものが流行していました。
ある井戸には、中をカメラ付き携帯電話で撮影し、待ち受け画面にするために、行列までできていると聞きました。

井戸の底を待ち受け画面にするのは何か意外性がありますね。
しかも大勢の方がそうしているなんて不思議な現象です。

作品の香りのする神秘的な出来事には心が躍ります。

2010年3月9日火曜日

メジロの気持ち

最近では春を感じさせるほど暖かかったり、冬が戻って来たように寒かったりを繰り返していますね。
部屋の外では冷たい雨が降っています。

もう春だと思いこみ、庭に来ていたメジロは、寒くないのでしょうか。
つぼみを解いた花や地面から出て来た虫たちは正式にやってくる春まで我慢できるのか、気がかりです。

街ではすでに春のコートを着ている方も多いようです。
メジロの気持ちがわかるのかもしれません。
僕も明日は薄いコートで出かけようと思います。

2010年3月6日土曜日

シャガールと魚


先日、水族館に行きました。

海の生物たちは水中を漂い、泳ぎ、浮遊するように生活していましたが、自分は陸の上に張り付き、空を持て余していると感じました。水族館にいるとシャガールの作品を思い出します。
8年程前東京都美術館でシャガール展をみました。あらゆるものが宙に浮かび、それぞれが複雑な色彩で描かれていました。行ったことのない寒いロシアをみた思いでした。
シャガールは水中の世界に憧れたのではないでしょうか、釣り人は陸上から水中の地図を描くそうです。

2010年2月28日日曜日

終わって始まる

個展が終了しました。お忙しい中お越しいただいた皆様、本当にありがとうございました!
いろいろな方に観ていただき、またご意見をいただき勉強になりました。
今はまだ頭の中が整理できていないですが、整理できていない分いろいろ思い浮かびそうなので、作品のエスキースをたてるのには適しているんじゃないかと思います。
ぼんやりとですが次の展開が浮かんでいるので早く形にしたいです。
今から楽しみです。

2010年2月23日火曜日

雪だるまをつくる

個展が始まりました。今週は大事な用事が重なり、いろいろな場所を行ったり来たりすることになりそうです。

行ったり来たりしていると、それまで目に入らなかったものに気づくことがあり、何か楽しいですね。
今日も銀座で昼食をとろうとうろうろしていたら、何やら30センチ角の窓が大量にある細いビルを見つけました。

僕は大体のものを想像し描くのですが、その芯の部分は現実に出会ったものであることがほとんどです。
作品は、記憶のなかで情報を転がし、雪だるまのように形づくります。

長いこと転がしていると、イメージがどんどん大きくなります。
次にそのビルと出会ったときには、自分の思っていたものとだいぶ違う。ということもあるかも知れません。



お忙しい中来ていただいたのに、お会いすることができなかった方々には失礼いたしました。
またの機会に是非お話しできたらと思います。

2010年2月21日日曜日

個展

個展の搬入、展示が終了しました!
作家の先輩二人と大学の後輩に手伝っていただき、本当にありがたかったです。だからというわけではありませんが、人とのつながりはとても大事だと感じた一日でした。

「風景画」を描きました。是非ご高覧ください!

第44回 レスポワール展  大川心平個展
2010年2月22日(月) - 2月27日(土)
時間11:00:-19:00
※最終日は17:30まで
銀座スルガ台画廊
〒104-0061 東京都中央区銀座6-5-8 トップビル2F

2010年2月20日土曜日

お知らせ

現在グループ展に出展させていただいている、Gallery GODOさんへのリンクがなおりました。ホームページのinfomationからはいれますのでよろしくお願い致します。

2010年2月18日木曜日

イチゴ大福


二月も半ばになると、近所の和菓子屋さんに「イチゴ大福あります」という張り紙がされます。
こしあんの大福にイチゴを入れた、春らしい一品です。(たいていピンク色をしている。)
以前はイチゴ大福を食べたいというのが、どことなくはずかしく、見てみぬふりをしていたのですが、一昨年初めて食べて以来、和菓子屋の前を張り紙がされるまでうろつく始末です。

そんなわけで、今もパソコンの前でイチゴ大福とコーヒーを食しております。
個展の搬入が近いため、今夜は長くなりそうです。

また先日お伝えしたGallery godoさんのHPのリンクは、手違いが起きたため、すみませんがまた後日作業します。

2010年2月16日火曜日

Blossoms in Roppongi

2月17日から、韓国のソウルにあるGALLERY GODOでのグループ展に出品させていただきます。
ソウルには6年前に一度行ったことがあります。その時も2月で、道には雪が残り、池は氷っていました。街には電線がなく、空が広々としていました。
今回は22日から銀座で個展があるため、会場には行けなさそうです。時間が見つかれば行きたいのですが…

infomationからGALLERY GODOさんのホームページにリンクをはらせていただきました。出品作(新作です!)を数点見る事ができますので、是非ご覧ください。

2010年2月15日月曜日

記念撮影


以前はなんでもなかったものが、急に輝いて見える事があります。
最近僕はこの石をよく描きます。どこで拾って来たかも覚えていません。

いい機会だったので、ベロアの布に乗せ記念撮影をしました。

反対に輝きを失う事も、しばしばありますので。

2010年2月10日水曜日

暗闇を歩く

僕の部屋の照明には、リモコンがありません。入り口にあるスイッチで操作をします。そのため、寝る時にはそのスイッチからベッドまでの距離を、暗闇の中歩かなくてはなりません。
そんなに広い部屋ではないのですが、何も見えない中、記憶と勘を頼りに進むのは、毎回勇気が必要です。
外灯や月明かりでうっすら見えてくる断片的な情景は記憶や勘への信頼感を乱し、それがあたかも現実だといわんばかりに主張します。
この毎日の習慣で学んだ事は、そういう時には目を閉じるという事です。視覚的な距離感覚と記憶の中での距離感覚とは違い、暗闇で身体のバランスを保つのにはむしろ目を閉じている方が適しているのです。
勘を頼りにたどり着けた時には平穏な気持ちで寝れますし、仮に何かを踏んだりぶつかったりしても、部屋に関しての新しいデータを得る事ができます。
暗闇の中、より鮮明なビジョンを思い浮かべられるようになりたいものです。

2010年2月8日月曜日

ポリプテルス・デルヘッジ



二年程前から部屋で飼っています。シーラカンスと同じように古代から姿を変えてないそうです。ヒレを手のように扱い体を支えるさまは、これから陸に上がり恐竜になるのだなぁと思わせ、頼もしい感じがします。
現在、体長が20センチ強なので、もう少しは大きくなるかもしれません。

魚はまばたきをしませんが、あくびはします。水中であくびをするのを想像すると、なんだか息苦しくなりますね。

2010年2月5日金曜日

新東京タワー

いつも利用している電車から建設中の新東京タワーが遠くに見えます。
はじめはただのマンションかと思い、気にも留めていなかったのですが、日に日に大きくなり、最近それが新東京タワーだという事が発覚しました。
ほぼ毎日成長具合をチェックしているのですが、気になりだすと逆に大きくならず、もどかしく思います。
現在半分程できているようですが、更に上の方には円盤的なものがくっつくと聞いています。また、ねじれの構造で方向によっては傾いて見えるそうです。
話を聞くと何か崩壊の予兆を孕んでいるように思え、バベルの塔と重なりますが、建築の世界ではねじれの構造がかえってしなやかで、強固なものなのかもしれません。
何はともあれ事故無く完成することを願うばかりです。

2010年2月2日火曜日

結晶

昨夜は僕の住む街に、今年初めて雪が積もりました。
雪が降ると、小学生の時に家で試した食塩の結晶作りのことを思い出します。飽和食塩水の中に糸を垂らすだけの簡単なものです。連なるサイコロ型の結晶を見て以来、食卓塩は仮の姿なのだと思うようになりました。
雪の結晶は塩の結晶より儚げに見えます。そんな雪が夜中にせっせと街を白く覆ったと思うと、むげに踏みつけるのも気が引けますね。

2010年1月31日日曜日

アポロ

子供の頃、高速道路を走る車から月を見るのが好きでした。走っても走ってもついてくる月が、乗り物酔いのひどかった自分を見守っているかのように思えたからです。
大人に理由を教えてもらったのですが、それが本当の事なのかは、結局のところ小さな僕にはわかりませんでした。

最近では夜の絵を描く事が多いため、夜を見に夜によく出かけます。そばにあったはずなのに、いざ描くとなると空の上下の色の違いや一番暗いところがどうなっているのか、わからなくなるのです。自分にはやり残した宿題のようなものがたくさんあるのだと思います。

今日は月を見ながら、あそこへ行った人がいるのだなぁと何となく思い出しました。

2010年1月27日水曜日

おみくじ

部屋で事務的な仕事をしていたら、観葉植物に巻き付けられているおみくじを見つけました。誰の仕業かわかりません。自分の部屋の事でさえ、僕はよく知らない。しばらくはこのままにしておこうと思います。次に気がついた時には無くなっているかもしれませんね。

2010年1月26日火曜日

湯たんぽ考

布団が冷たいのが苦手です。最近では電気毛布や布団乾燥機などで対応することもあるようですが、僕はもっぱら湯たんぽを利用します。初めは熱いくらいなのに朝には人肌くらいに落ち着くのが心地よいのです。ペットのようにも感じます。
皆さんは湯たんぽをどこに設置するのでしょう。僕はまず胸の辺りに入れ、自分が布団に入ると同時に足下に下ろします。そしてついに眠りに入るというクライマックスに再び胸に抱え込むのです。(低温火傷にはくれぐれもお気をつけください。)

冬にはこの一連の動作が眠る為に必要です。

そのため、湯たんぽの本質はその自在な運動性にあると考えます。

2010年1月24日日曜日

アルテ・ピナコテーク

最近本で、ミュンヘンにあるアルテ・ピナコテークという美術館を知りました。所蔵作品をみるとドイツの作品はもちろんのことスペインやイタリアなどのコレクションも充実しているようです。
ウェイデン、デューラー、グリューネバルトなど、絵を描き始めたときに影響をうけた作品が、そこにはあるのだなと思うとドキドキしました。
各作家ごとに作品をみてはいるのですが、国や美術館単位でどのようなコレクションをされているかの知識が浅いので、その辺りを知るのも楽しそうだと思っています。

どれも500年ほど前の作品ですが、意外性があり、新鮮に思えるものがいくつもありました。それがよく言う作品の普遍性と通じるものなのかはまだわかりませんが、見ていて親近感がわきました。作者の姿が思い浮かぶ、親密な雰囲気の作品が僕は好きです。



2010年1月19日火曜日

2010.1.19

ブログを開設しました。
最近は二月に予定している個展とグループ展の準備をしています。
日々の気づきを書き留めたり、何か興味深い事がおこったら載せていきたいです。
更新は不定期ですが、是非見ていただけたらと思います!